日々、感じたこと、体験したこと、趣味のことなど記していきます。
〈目 次〉
001・自己紹介
002・御巣鷹山
003・政権交代
004・マラソン その壱
005・マラソンの女神が微笑んだ?
006・新年に思う
007・双葉の前に双葉無し
008・4度目のフル
004 マラソン その壱
 このコラムのタイトルを見て分かる人もいると思うが、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」に由来していることは言うまでもない。と言うことで、今回はマラソンの話をしよう。

 実は、僕は今マラソンに夢中なのである。今年の6月で、走り始めて丸3年が経った。あと少しで、走行距離が4,500kmに達する。
 その間、フルマラソン2回。ハーフマラソン4回。青梅マラソン1回。他小さな大会や練習会などに5〜6回出場。フルマラソンの記録は荒川市民マラソンで、今年3月に出した3時間42分。(1秒刻みランキングで7〜8百番くらい)分かる人には分かると思うが、結構悪くない記録である。
 当然ながら始めは、ここまでハマるとは思っても見なかったのだが、その魅力にどっぷりと浸かる日々を送っている。
 
 なぜ走り始めたのか、かっこ良く言えば、子どもたちに親父の頑張っている姿を見せることで、何かを感じてくれればとの熱い思いであった。でも実際は息子たちが中学に入学し、テニス部に入り、顧問の先生の指導方針で、とにかく走らされていたのだが、だんだんと走れるようになると、ちょっと自慢しだし、親を見下すようになっていったように思えたのだ。
 曰く、「パパには無理でしょ」的な発言。「むむっ、いかん、このままだと親の沽券に関わる。」と変なプライドが頭をもたげてきた。
 とはいえ走ることにはあまり良い思い出がない。
 かつて2度ほど、ランニングを試みたことがあったのだが、その時は見事に三日坊主で終わっていたのだ。
 なぜ失敗したのか、それは「痩せるぞ!」とばかりに気合いを入れ、合羽を着て、タオルを巻いて、とにかく明日のジョーのごとく走り出す。あまりの苦しさに続くはずもなかった訳だ。
 しかし今回だけは違っていた。周りからは、「死ぬぞ」とか、「やめとけ」的な言葉もたくさん頂戴したが、なんせ子どもに「な〜んだ」って言われるのだけは嫌だという、変なモチベーションのもと、走り続けることができたのだ。

 最初は、ストレッチから始め、次にウォーキング。これを約二ヶ月ほど続けた後、ジョギングにトライした。
 ところが最初は中学校のグランドのトラック一周3百メートルを走るのに2回も休む始末。ここまで走れないとはと愕然とし、途方に暮れ、筋肉痛になりながらも、まずは3百メートル、次に1キロ、次に千五百メートルと、徐々に距離と目標を伸ばしていった。それとともに体重が激減。走る前は70キロオーバーだった体重が、半年すぎた頃には58キロ。体脂肪も25%から14%前後になっていた。
 こうなってくるともうやめられませんとばかり、もっともっとと距離を伸ばし、速度を速め、ストイックに自分をいじめ筋肉痛を楽しむ毎日であった。
 あまりの急激な痩せように周りは疑心暗鬼の目を向けるようになり、何か悪い病気じゃないかと目をそらす始末。だから当初は開口一番「今ダイエットのため走ってるんです。」って笑顔でしかもあわてて言わなくてはならないくらい急激に痩せていった。それまでいかに不摂生していたかが分かるのだが、当時の写真を見ると確かに青白くて頬がげっそりしてて、我ながらかなりやばそうに見えます…。(おお怖わ)

 と、まあ話せば切りはないので今回はこのくらいにして、また何度かマラソンの話はしていきます。ちなみに東京マラソンは当然エントリーし、今抽選待ち。陸連登録もしてあるので、今年は当選することを今から夢見て待っています。また11月の大田原マラソンに出走を計画中です。